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昭和大学校歌

昭和大学校歌は、齋藤茂吉作詞、尾熊善次郎作曲により、昭和医学専門学校校歌として昭和4年に制定されました。制定までには、こういうエピソードがありました。
昭和3年6月に、第1回生の総意により校歌作成の要望が出され、アンケートの結果、圧倒的多数の支持により、歌人であり医学博士であった齋藤茂吉先生に作詞を依頼することが決定されました。精神医学の植松七九郎教授を通じて、茂吉先生に依頼したところ、快くお引き受け下さいました。

その頃の茂吉先生は、父君の経営する青山脳病院全焼に伴う再建での苦労、院長職を引き継いだ後の苦悩が重なっていた時期であったので、この校歌作詞の依頼には、逆に喜んで頂けたようです。校歌は9月中旬に作詞が完成し、茂吉先生のご紹介で尾熊先生に作曲を依頼し、こちらの方も同年10月には完成しました。その時には尾熊先生がわざわざ来校され、全生徒に歌唱の練習をして頂けたということです。

昭和13年は、昭和医専の創立10周年にあたるので、10周年記念祭を挙行するに際し記念歌を制定することになりました。詞は全生徒から募集し、応募された作品は医専教授であり俳人であった水原秋櫻子先生にお願いし、選を賜りました。その結果、2年生の牧野進君の作品が当選し、東京音楽学校の橋本國彦氏に曲をつけて貰うことになりました。

史料室に展示されているレコードにはその折の記念歌「吾等が誇り」と校歌の、二曲が吹き込まれています。時代を反映し軍歌調でありますが、本学の創成期に相応しい、活気ある歌となりました。
昭和医専校歌は、戦後一時歌われない時期もありましたが、やはり作品が良質であった為か、途絶えることなく現在は昭和大学校歌として親しまれています。



    齋藤 茂吉 作詞
    尾熊善次郎 作曲

一)
ここ城南の旗ケ岡
吾等が母校の礎かたし
康平寛治の名も高き
古将の心は吾等がこころ
雁のみだれに道理知る
見聞覚知の正しきねがい
いざや学ばん吾が友よ

二)
かがやく岡は旗ケ岡
ここに一千健児がこもる
富士の高峰をあおぎつつ
誓うは抱負感激あらた
軽薄不安の世にありて
常に動かぬ節操を保ち
いざや奮わん吾が友よ

三)
眺めは清し旗ケ岡
自治の健児意気こそあがれ
けがれに染まぬ益良夫が
真と善美の久遠の理想
白衣は吾等が象徴ぞ
弥あたらしき社会の道を
いざや進まんもろともに

四)
そびえて高し旗ケ岡
ここにいそしみ撓まぬ健児
青春の血の高鳴りに
万有学のさきがけなして
あかね射しくるひんがしの
無辺の空に轟きわたり
いざや讃えん吾が母校

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