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制服・制帽

本学にはかつて制服があり、昭和3年(1928年)に本学の前身である昭和医学専門学校が創立されたと同時に決められました。

その頃の制服はサージの背広で、白のワイシャツ、黒のネクタイ、黒靴でした。帽子は黒のソフト、ボタンはエボナイト製の物で、背広は三つボタン、ボタンの表面には昭和医専のマークが刻印されていました。他に襟章として金属製の同型のマークをしていました。黒ずくめの制服、制帽はさすがに目立ちました。どこへ出かけても、誰もが、昭和医専の生徒と判るほど真っ黒でした。背広にソフト帽という服装を決めた理由は、「医学生は常に紳士であれ」という本学の理念に基づいています。

「学生時代に世人から嫌われる様な者は卒業して直ちに紳士となることはできないし、患者さんの信頼と尊敬を得ることは不可能である。」とは、創立者上條秀介博士の言葉です。それ故、本学の生徒に対しては紳士として遇すると同時に、紳士としての服装、態度の訓練をしました。

しかしながら、時代の流れと共に、この制服、制帽も変わっていきました。昭和12年に起きた日中戦争を契機として、日本は戦時色をさらに深めていきます。昭和13年には生徒の集団勤労奉仕が始まりました。15年には国策により享楽的飲食店への出入りが禁止されることになりました。さらに防空演習、退避演習が日常的となり、秋には全生徒五分丸刈りの断髪を本学でも実施するに至りました。
この頃、軍部から本学の学生の服装について厳しい批判があったようでしたが、上條博士は「紳士たれ」の方針を貫きます。しかしながら、時代の波は如何ともしがたく、昭和16年4月の新入生から臨時措置として従来の黒の背広とソフト帽を廃止し国民服(乙号)を着用させました。ただ、戦闘帽は拒否し、黒色角帽の着用を義務づけました。戦闘帽では学生であることが判別できないというのがその理由でした。

米国、英国に宣戦布告し太平洋戦争が始まると、医師の養成が急がれ、教育年限を短縮すると共に、昭和19年には入学定員を増員することが義務づけられました。角帽もいつしか戦闘帽となります。以後、本学で正常な教育が行われるようになるのは、敗戦後のことです。

この制服、制帽にはそのような歴史が刻まれています。

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