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[スペシャル対談] 理事長 小口勝司 × 理事・思想家 内田樹(1)【全6回】

2015年9月2日

昭和大学が企画した特別番組『夢の力』の放送を記念して、本法人の小口勝司理事長と思想家の内田樹理事の対談が実現。この模様は2015年2月28日の毎日新聞に掲載されました。

小口理事長と内田理事の出会いは高校1年生のとき。その後は別々の道を歩みながらも「教育者」という共通点をもつ2人が「昭和大学で何を学ぶべきか、社会に貢献できる医療人とはどういう人か」などについて熱く語り合いました。

今回は紙面の都合でカットせざるを得なかった内容を含めて、全6回にわたってご紹介いたします。



社会に貢献する医療人を育てたい

知識や技術だけでは優れた医療人にはなれない(小口)

小口勝司 小口 勝司
おぐち・かつじ/1950年生まれ。
昭和大学医学部卒業、同大学院
医学研究科修了、医学博士。79年
米国カンザス大学留学、82年英国
ケンブリッジ大学留学、87年昭和大
学医学部助教授、88年同医学部
教授、96年同学生部長、2000年
学校法人昭和大学理事、01年
同理事長。
小口 内田先生もよくご存知だから、今さら言うことではありませんが、昭和大学は医系の総合大学です。医学部と歯学部と薬学部、それと保健医療学部の中には看護・理学療法・作業療法学科があります。

これは偶然こうなったのではなくて、医系の総合大学を作ろうという目的で成り立っているので、医系以外のものを作るという計画は現在のところありません。医療を通じて社会に貢献できる人物を教育していこうということが目的であるし、ここにいる人たちも、医療を通じて社会に貢献するように頑張りましょうという理念のもとに集まり大学が成り立っています。建学の精神は至誠一貫。それは医系で優れた医療人を育成するということです。つまり、ただ単に国家資格を持つ有資格者を育てるのではなくて、卒業の後、大学院が修了した後も含めて勉強が一生できるような大学にすることです。昭和大学建学の趣旨には優れた医療人を育成したいという願いが入っているわけです。

それでは、「優れた医療人とはどういう人を言うのか?」ということになるわけですね。私は、知識や技術が優れているというのは、医療人になくてはならないものだと思いますが、その他に社会に貢献するという気持ちを持っていなければ、優れた医療人とは言えないのではないかと思っています。最近の傾向では、医療人になりたいという進学希望者がすごく大勢います。医療人となるためには国家資格が必要ですが、しかし、私は職業的な訓練を行う大学ではなくて、心ある人を育てる大学にしたいと思っています。ですから、国家試験を通ればいいよというものではないと思いますね。

それに、大学卒というのは高等教育を済ませた人ということになります。高等教育が求めるものが何かと言いますと、私は最終的には社会への貢献だと思うんですね。そのような心を持った人、知性と教養が溢れて指導的な立場になれるような人を育てたいと思っていますが、あまり多くを求めてもいけませんから、少なくとも心のある人を育てたいと思います。

優れた医療人という定義を上手く言うのはすごく難しいことですが、私はこう考えました。内田先生はどうお考えですか?

強い使命感が医療人の条件(内田)

内田樹 内田 樹
うちだ・たつる/1950年生まれ。
東京大学文学部仏文科卒業、
東京都立大学大学院修士課程
修了。90年神戸女学院大学
助教授、96年同大教授。2011年
同大名誉教授、学校法人昭和
大学理事。専門はフランス現代
思想、映画記号論、武道論。
「日本辺境論」で新書大賞2010
を受賞。「街場の大学論」など
著書多数。
内田 最初に司法組織のようなものができる。そこに暮らす人たち同士のトラブルを治めて、理非の筋目を通す制度はなくてはすまされない。それから必ず死者たちを弔うための制度ができる。死者たちを葬る場所が作られ、鎮魂の儀礼が営まれる。それと並行して必ずできるのが病院と学校です。どれほど秩序が崩壊した場所でも、人間が集団を作って暮らし始めたら、必ずこの四つの社会制度はうまれる。それなしでは人間は生きて行けないからです。司法と宗教と医療と教育、その四つです。誰かが命令しなくても、自然に誰かが始める。医療技術を持っている人がいたら、とりあえず「ここを病院にするから、けが人や病人がいたらここに連れて来てほしい、包帯でも薬でも医薬品があれば、ここに集めてほしい」と言い出す。人に教える能力がある人は必ず、「子どもたちは遊んでばかりいないで、ここにいらっしゃい。教えたいことがある」と言い出す。黒板もチョークもなければ、地面に木の枝で字を書いてでも、授業らしきことをやろうとする。こういうことは誰かが命令して、計画的に組織されるものではなく、自然発生的なものなんだと思います。人間が集団的に生きるためには、「祈り」と「裁き」と「癒し」と「学び」という四つの社会的機能は絶対に必要だから。

ある程度社会が成熟すると、いろいろな付随的なシステムが追加されるけれど、司法官、宗教者、医療者、教育人というのは太古的な職能だと思う。人類史の最古の時代から存在する職業であったはずだから。だから、そういう職能人に求められる人間的資質や能力は、時代が変わっても、場所が変わっても、それほどには変わらない。医療人の場合なら、医療技術をそれを必要とする人たちのために用いるということに強い使命感を持っているということがその職能を果たすための条件であって、それ以外のことは副次的なことに過ぎない。今の社会だと、単に偏差値が高いからとか、卒業した後に高い年収や社会的威信が保証されているからという理由で医学部を選ぶ人がいるけれど、僕はそれは間違っていると思う。医療者というのは、そういう基準で選択してよい職業ではないから。もっとずっと根源的なものであって、生得的にそういう職能に向いている人が就くべき仕事だと思う。

僕も長く学校の教師をやってきましたけれど、教師になる人ってやっぱり、メンタリティーにある種の共通性がある。日本の近代学制は明治時代の中ごろから始まって、もう100年たつわけだけれど、どれほど時代が変わり、人々の価値観が変わっても、「学校の先生になりたい」と思う学生たちはつねに一定数いて、その若者たちには、どこかしらある種の共通の傾向がある。医療人のメンタリティーもそれと同じじゃないかな。それこそヒポクラテスの時代から、人を癒す仕事に就きたいという抑え切れない衝動を持つ人たちが一定数いて、そういう人たちが医療者になっていったんだと思う。別にそれが社会的に尊敬される仕事だからだったわけじゃなくて。実際に、医療人が「穢(けが)れたもの」に触れる職業だからという理由で忌避された事例なんか歴史上いくらもあるわけでしょう。それでも、「なりたい」という人は途絶えたことがなかった。

被災者の健康管理は重要な支援だと考えた(小口)

小口 僕もそう思います。内田先生は20年前、神戸の大震災(阪神・淡路大震災)があった時に被災されましたね。

内田 ええ。

小口 そのとき、私たちは東京にいたわけですが、あの震災でわかったことは、瓦礫の中から人を助けたり、けが人を助けたりする医療というのは、それはそれで必要なんですね。戦争のときに一緒に行って傷病兵を助けるみたいなね。そういうものと、もうひとつ私たちがやらなきゃいけないなと思ったのは、そこに住んでいて被災した人たちの健康管理とか、生活管理とか、保健環境の整備をするととで、実はこれがすごく重要でさらに支援の期間も長くてたいへんだということがわかったんです。3月11日の東日本大震災でも「それっ!」と行く人たちの中には、瓦礫の山から人を助け出そう、けがをした人を救い出そう、重病人をなんとかしたいと思った人と、被災して行き場をなくした人たちの健康管理をなんとかしてあげなければと思った人、この2種類の人がいるんですね。

私たちはどちらかというと、その後者を選んでいるわけです。そこに住んでいて、けがもしていないけれども、その人たちが幸せに暮らせるような、健康に暮らせるようなことをしなきゃいけない。これは新聞にもあまり載らないし、あまり注目されることはないけれど、実は、現地に行って、お風呂はどうやって沸かしたらいいかとか、ちゃんと手を洗いましょうね、うがいをしましょうねって指導したり、歯のみがき方を指導するためのものを持っていって一緒にやりましょうとか、健康管理をしましょうとか、薬は流されてしまったので新しい薬を持って行きましょうねっていうことだとか、子どもたちの健康をどうしたらいいかという指導をするとか、こういう地道なことが実はすごく重要なんですね。

内田 それって、対処と予防ということに分けてもいいのかな。

小口 まあ、そうですね。

「歌われざる英雄」たちが社会の根幹を支えている(内田)

内田 対処って、目に見える、わかりやすい成果がそこで出るわけだけど、予防ってそうじゃないのね。予防的な医療が成功すると何も起きない。何も起きないから、いったい何がその成果が見えない。でも、僕は破局的なことが起きた後に、それをてきぱきと処理できる能力よりも、破局的なことが起こらないようにするためには何をすればいいのかがわかる能力の方が社会的能力としては優先されるべきだと思う。

蟻の一穴から堤防が崩れるということがあるけれど、それって、通りすがりの村人が蟻の穴をみつけて、何となくそこに石を詰め込んでおくと、それで次の豪雨のときに堤防が決壊しないで済む。でも、堤防は決壊しないので、その村には何も起きない。その村人が村を救ったことを、村の人も本人も知らない。そういう人のことを「歌われざる英雄(unsung hero)」と呼ぶんだそうだけれど、僕は社会の根幹を支えるのは、そういう人たちだと思うんだよね。誰にも改まって感謝されないし、本人も自分がどれほどの功績を上げたのか気づかないような知られざる偉業の蓄積の上に僕たちの社会は成り立っているんだと思う。

だから、僕は成果主義・業績主義というものの有効性を疑っているんだ。成果主義だと、何か問題が起きた後にてきぱきと処理する能力を見ることはできるけれど、問題が起きるのを未然に防いだ「歌われざる英雄」たちの仕事はゼロ査定されるでしょう。でも、それは僕たちの暮らしている社会の土台を支えている人たちの努力をゼロ査定することに等しいことだと思うんだ。みんなが「今日も一日何もなかった」と日記に書けるような社会を維持することって、たいへんな力仕事なんだよ、本当は。だから、何も起らないようにする配慮、予防的な気づかいというのは、市民的な資質としてはきわめて重要なものだと最も高いものだと思うんだ。

小口 僕もそう思う。だからね、さっきも言ったけど、社会に貢献できる医療人を育てるって、その貢献とはなにかと言うと、みんなが健康で幸せな生活ができますようにということを願う気持ちだと思う。けがしている人を救うだけではなくて、救急の治療が必要な人になにか手当をするだけではなくて、最終的には、その地域やある一定のエリアの人たちを、きちっと健康で文化的な生活を守らせることができるようにしてあげるというか、手伝いをするとか、見守ってあげることが社会に貢献していることかなと思う。

医療救援隊派遣にみた医療人としての構え(内田)

内田 僕が理事着任早々に東日本大震災があったでしょ。4月の僕が出た最初の理事会は震災の直後だったんだよね。そのときに小口君の医療人としての構えを教えてもらって、ちょっと感動したんだけど、君は2つ印象深いことを言ったんだよ。ひとつは、とにかくすぐに救援隊を送ったということ。厚生労働省からも地元の自治体からも正式要請なんか来なかったけれど、とにかく医療チームをすぐに送った。それは前に阪神の震災のときに、行政からの公式な派遣要請を待っていたら、医療チームがほんとうに一番必要だった時期を逸してしまったという痛恨事があったからだと小口君は説明していたよね。だから、今回は行政からの公式要請がなくても医療チームを送る。だって、津波と地震があったわけだから、そこには医療を緊急に必要としている人たちがいるに決まっているものね。だから、手続きなんかどうでもいいから、まずけが人、病院を助けに行く、と。この決断は医療人としてはあるいは当然のことかも知れないけれど、僕がびっくりしたのは、その後、君が「次に大事なことはどこでチームを引き上げるか、そのタイミングを見誤らないことだ」と言ったこと。僕はそれを聞いたとき、よく意味がわからなかった。そしたら、自分たちがレベルの高い医療を無償でずっと行い続けていると、現地の医療機関に患者が来なくなってしまう。彼らが医療活動を継続できるようにするためには、地域の医療体制がある程度整って来たら、ちょっとずつ引いてゆかなければならない、少しずつ地元の医療機関に患者を移していかなければいけないって説明してくれたんだ。そして、その引き方が難しいという話しをしたんですよ。僕はそれを聴いてなるほどねと感心したんだ。

こんなことメディアはほとんど報じない。でも、ほんとうにそうだと思う。最初は医療活動のための基盤そのものが崩れているんだから、緊急避難的に医療チームを送る。でも、地域医療がはやく再生できるようにするためには、いつまでもとどまってはいけない。それは本当に医療人らしい発想だなと思った。現地の患者さんにしてみたら、それまで無料で診療してもらっていたのが、今度から前に通っていたお医者さんのところに戻ってくださいと言われたら、「それじゃ、お金がかかるじゃないですか」って不満顔をした人だっていたかもしれない。でも、地元医療の邪魔をすることはできない。そのときにわかったんだけれど、医療人っていうのは、自分個人の達成をアピールするものじゃなくて、一種の同職集団というか、運命共同体というか、そういう多細胞生物のような生命体をかたちづくっていて、医療者集団全体として医療行為を行う。全員が自分の分担している医療活動の領域での義務をきちんと果たす。その総和としてその社会の医療がある、そういうふうに考えるということを小口君から教えてもらった気がした。医療人個人の達成や、あるいは一大学の功績を誇ったりすることは筋違いな話で、医療人全体として何をなしたかが問題だ、と。小口君が理事会で最初にそういう話をしているのを聴いて、いや?、小口君て立派な人だったんだなと思って(笑)。

小口 「こいつ、どうしてそんな立派なことを言えるようになったんだ」って(笑)。

内田 あともうひとつ印象深いことがあったんだけど、これはもう少し後の話で、現地に何人もドクターや看護師さんたちが行っていたでしょう。それで、帰ってきた人たちに、どんな具合だったかみんなが聞きたがっているので、戻って来た医療チームの人たちに現地の様子についての報告会を開いていただきたいという話があった。現地では何が不足しているのか、どういう医療資源が必要なのか、それを聴きたいんだ、と。僕もそれを聴いてて、そういう報告会があったらいいなと思っていたの。そしたら、君がちょっと待てと言ったんだよね。僕は意外な気がして、君がどうしてそんなことを言うのか、聴いてたんだよ。そしたら、医者というのは周りからは修羅場に強いと思われている。死体を見ても、損壊のひどい身体を見ても、そんな動じないというふうにみんな思っているかもしれないけれども、何百人、何千人という規模での死傷者を見たら、どんな医療人でも心に傷を負う。それがトラウマになることもある。だから、そういう経験をした直後の人を報告会に呼び出して、現地はどんなふうだったというような質問を浴びせると、それがきっかけになって抑うつ状態になってしまうことがある。だから、本人がぜひやりたいと言った場合ならいいけれど、本人からの希望がないのに報告会をやってくれというようなことを頼むことに私は反対だ、と。小口君はそのときそう言ったんだよ。目配りのいい人だなと思って、感心した。

小口 「いつからそんなことを言うようになったんだ」って。

内田 (笑)いや、ほんとに立派な医療人になったなと思って。この2つの事例で小口君が言ってたことは、突き詰めて言えば、「医療人だって生身の人間だ」ということなんだよね。医療人だって、生活者であって、3度のご飯を食べなくちゃいけないし、一日8時間くらいは寝なくちゃいけない。過労になれば寝込むし、不摂生すれば病気にもなる。そういう生身の人間が医療現場で高いパフォーマンスを維持できるためには、どういうふうな仕掛けや工夫がいるのかということを君がずっと考えているということがわかった。どうやって高度な医療技術や高額の医療機器を導入するかとか、どうやって助成金を引っ張ってくるかとか、そういう話ではなくて、医療に関わるすべての人たちが高いパフォーマンスをあげられるためにどうすればいいのかを気遣っているというのが、その2つの事例からわかって、感心したの。

一部のピラミッドの頂上の人を育てるためにこの学校があるわけではない(小口)

小口 褒めてもらってうれしいね。社会に医療人として貢献するためには、貢献するんだという気持ちがすごく重要で、自分がヒーローになる必要はないわけですね。だから、ヒーローになろうと思ってやっちゃ駄目なんですね。

内田 でも、日本の医療ドラマとかは全部、ヒーローものじゃない。なんか偏ってると思うんだよ。天才的な外科医とか、そういうのばかりでしょ(笑)。

小口 そうですね。気持ちよりも技術のほうにいったりなんかしますからね。でも、そうじゃなければ映画にはならないので、それはそれでいいと思うんですけれども、現実問題は、非常に熱い心を必要としているけれども、その熱さ余ってヒーローを望んではいけないということだと思うんですね。

内田先生も理事会に出ていてわかるかもしれないけれども、昭和大学と関連している財団法人があるんですよ。公益財団法人昭和大学医学・医療振興財団というんですが、そこで表彰をしているんですね。長年に渡って苦労して地域を支えてきた人たちを表彰したいという気持ちで私はいて、それを今はしてもらっています。それまでは、いい成果を出した人、いい研究をした人、著名な効果を発見した人にあげたいというのが強かったんですね。あるいは、いい研究に補助をしたりとかね。私は、昭和大学の建学の精神もありましたし、研究補助等は大学や国にやってもらえばいいので、私たちは、誰にも褒めてもらえていない人たち、隠れているんだけど、その人たちは本当にある地域で、たとえば助産師、お産婆さんとして頑張っているとか、先生が年を取ってもずっと頑張ってひとつのところで地域医療を支えているとか、そういうような人たちを讃えたいと思いました。そこで助成制度を表彰制度に変えたんですね。

私としては、成功者ではなくて、地域に貢献した人を育てたいという思いがあるんです。だけど、その人たちの技術がプアーでは話になりません。そのためにはやはり、最高の技術と、最新で最高の優れた知識が得られるような教育をしなくちゃいけないと思うんですよね。ある一部のピラミッドの頂上の人を育てるためにこの学校があるわけではないよねということを自分に言い聞かせている。

内田 急性医療と慢性医療の棲み分けというのがあることを理事になるまで僕は知らなかったんですよ。昭和大学みたいな高度な診療施設が整っているからところは急性期の病気や難病患者を扱う。処方箋をもらったり、血圧をはかったり、注射を打ってもらったりするためにお医者さんに行く人たちは近くの病院に行く。ふつうは近所の主治医から紹介状をもらって専門病院に行くんだけど、ここは病状が安定すると、地域の病院に「逆紹介」する仕組みでしょう。あなたは非常に危険な時期は過ぎたようだから、この後はレギュラーな日常的な医療を受ければいい、と。

それを聞いたときに思ったんだけれど、この発想って、ぜんぜん市場原理とは違うものなわけですよね。市場原理だと、いちばん優れた医療機関が患者を総取りする。専門技術や高度の医療機器のない医療機関は患者が来なくてつぶれてもいい。それがフェアネスだということになる。アメリカはもうそうなっています。技術がない医療機関はつぶれていって当然だ。最高の医療を提供できるところだけが生き残っていけばいいんだ。それなりの医療を受けたければ、それなりの金額を払うべきだ、と。そういうのが市場原理だと思うんですが、小口君の話を聴いていると、医療に市場原理を導入するというのとは、まるで反対の方向に行こうとしているように僕には見える。多様な技術を持っている医療従事者が、さまざまなサイズの、さまざまな目的に特化したかたちでばらけていて、それが全体として共同作業をする。それぞれが得意な仕事をして、それが得意じゃないという人のカバーをする。

小口 でも、それが得意だったら、それでいいのよ。地域医療が得意だったら地域医療がいいわけ。

内田 今はもう往診してくるお医者さんとか、いないわけですよね。でも、地域に根づいた医療なら、お家までお医者さんが来てくれて、枕元で熱を測ってもらっただけで病気が治ってしまうことだってあるわけだ。

小口 そうそう。でも、それが行けるというのは、実は素晴らしい得意技術なのよ。 (第2回につづく)

※写真提供:毎日新聞・山田茂雄氏

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