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[スペシャル対談] 理事長 小口勝司 × 理事・思想家 内田樹(2)【全6回】

2015年9月8日

昭和大学が企画した特別番組『夢の力』の放送を記念して、本法人の小口勝司理事長と思想家の内田樹理事の対談が実現。この模様は2015年2月28日の毎日新聞に掲載されました。

小口理事長と内田理事の出会いは高校1年生のとき。その後は別々の道を歩みながらも「教育者」という共通点をもつ2人が「昭和大学で何を学ぶべきか、社会に貢献できる医療人とはどういう人か」などについて熱く語り合いました。

今回は紙面の都合でカットせざるを得なかった内容を含めて、全6回にわたってご紹介いたします。



学ぶとは何か

── 去年の4月に、富士吉田キャンパスで内田理事が新入生たちにされた講演を拝見しました。その講演で、学ぶとは何かということを、学生の時に小口理事長から投げかけられた質問によって内田理事が考えるようになった、とおっしゃられていましたね。15歳か16歳の話を今ごろまたしていただいて恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

15歳のころの学びと今の学びは私の中で全く異質なものです(小口)

小口勝司 小口 勝司
おぐち・かつじ/1950年生まれ。
昭和大学医学部卒業、同大学院
医学研究科修了、医学博士。79年
米国カンザス大学留学、82年英国
ケンブリッジ大学留学、87年昭和大
学医学部助教授、88年同医学部
教授、96年同学生部長、2000年
学校法人昭和大学理事、01年
同理事長。
小口 これは永遠のテーマかもしれないけれども、15歳くらいの学ぶとはなにかと、今の学ぶとはなにかは、私の中では全く異質なものです。15、6歳の高校生になったときの学ぶというのは、学歴を積むための学ぶであって、自分が学びたいからの学びではなかったし、なにを知りたいのかということについて明確なものはなかった。だから、やらされている学び。勉強しないと良い大学に入れないぞとか、勉強しないと良い大人になれないぞというような強迫観念があったと思います。

今はね、学ぶというと、知らないことを知るようになるというのは、こんな楽しいことはないと思っています。知らないということがこんなに面白いのか。ということで私は今、勉強というのかどうかわからないけれども、調べるものはものすごく調べています。そのツールとしてコンピュータがすごく発達しているので、検索を多用しています。そのくらい知らないことを知るということはすごく楽しいし、知的好奇心を満たしてくれるっていうことが大好きなんですね。それが自分にとっては重要なことです。学ぶということは、自分が楽しくなければ学べないよね。ただ知識をつけたって、それは学んだことではない。ただ単に学習しただけであって、身にならないなという気はするんですね。

小さいころ、どうやったら数学の問題が解けるのかっていうのは、あまり面白くなかった。だけど今は結構、数学の問題を見ると、解いてみようかって思うときがあるんだよね。それは、答えが出せるから面白いのではなくて、本当にこういう証明ができたのかできないのか、ロジックが上手くいくのかいかないのか、そういうところに面白さがあるんだなと。そういうことを高校の先生は教えてくれていたはずなんだけど、自分は気がつかなかったということで、やはり若いころは愚かであったなということはよくわかりますね。まあ、今でも愚かでしょうけど、もっと愚かであったということがよくわかります。

おそらく内田先生もはじめは、何のために勉強しているのかというのは……

小口君に「なんのために勉強するの?」と聞かれて絶句した(内田)

内田樹 内田 樹
うちだ・たつる/1950年生まれ。
東京大学文学部仏文科卒業、
東京都立大学大学院修士課程
修了。90年神戸女学院大学
助教授、96年同大教授。2011年
同大名誉教授、学校法人昭和
大学理事。専門はフランス現代
思想、映画記号論、武道論。
「日本辺境論」で新書大賞2010
を受賞。「街場の大学論」など
著書多数。
内田 大体さ、それを言ったのは君だよ(笑)。あのね、誤解されたくないので言っておきますけど、僕は中学からずっと優等生だったんです。でも、高1の秋のある授業のときに小口君と知り合ってしまった。彼は同級生だったんですけど、不良でね、僕はなるべくこの不良グループとは関わりを持たないようにしてたんです。でも、その授業のときは僕が自治会の活動があって少し遅刻して教室に入ったら空いている席が一つしかなくて、そこに座ったら、僕よりさらに遅刻して彼が入ってきたんです。そして、僕の隣に座ったんです。それもね、椅子がないので、ゴミ箱を持って来て、そこに自分の鞄を載せて、その上に座ってたの。僕は内心「ああ、小口が来た!話しかけられたら、やだな」と思っていたら、彼にいきなり「内田君、なんでそんなに勉強すんの?」って聞かれて、絶句しちゃったんですよ。僕はとにかくがりがり勉強して東大に行くということしかそのときは考えてなくて、何の矛盾も屈託もなく楽しく勉強していたわけですよ。それが小口君にいきなり「なんのために勉強するの?」って言われたら、答えに窮するじゃないですか。一応「そ、それは良い大学に行きたいからさ」って答えにならないこと言ったら、今度は重ねて「良い大学行って、なにするの?」って畳みかけるように質問された。そこで絶句しちゃった。僕はただ「東大に行く」というのだけが目標だったから、その先のことなんか考えてなかった。でも、小口君に「なんで大学行くの?」って訊かれたら、全人格をかけて答えられる答えを持っていないことに気がついた。その瞬間、僕の中にあった何かが瓦解してしまった。すると高校生って、まじめだから、本当に真剣に考え始めるんですよね。いったい僕は何のために生まれて来たのか、自分がこの世界に生きている意味は何かって。それが受験勉強ではないということはすぐわかった。だから、それからは受験勉強をやろうとすると体調が悪くなってくる。朝起きて、満員電車に乗って高校に通うのもどうも身体に悪い。これは無理すると身体を壊すなと思ったので、勉強をやめてしまって、ついでに高校もやめてしまったんです。

「学び」が発動すると「未知の世界に踏み込んで行く」という感覚になる(内田)

内田 今にして思うと、あれはやっぱり何かを必死に探していたんですね。15、6歳くらいのことですから。これから一体、僕の人生はどうなるんだろう、世の中ってどういう仕組みになっているんだろう、そういえば政治のことも経済のことも、何も知らなかった。66年といったら、中国では文化大革命が、インドシナではベトナム戦争が始まっていて、ヨーロッパでもテロが頻発し、アメリカでは公民権運動が盛り上がり、ブラックパンサーが市街戦を呼びかけ、それこそ世界中が政治的な激動で煮えたぎっていたわけですよ。そんな世界に暮らしていながら、外の世界で何が起きているのか何も考えないで、とにかく2年後に受験があるから脇目もふらずに勉強するというのはちょっといくらなんでも知性の使い方を間違っているんじゃないかということは16歳でもわかります。受験勉強よりも、とにかく世界で今起きていることについてきちんと理解したいというふうに思い始めた。この方が知性のありようとしてはずっと自然ですよね。だから、学校の勉強はさておき、いろいろと哲学書を読んだり、政治の本を読んだりして、今世の中で何が起きているのか、それに対して16歳の少年としてはどうふるまえばいいのか、そういうことを考えていたんです。そしたら、まことに不思議なことに身体が健康になってきたんですね。受験勉強しているときはなんかいつも気分悪かったのに、世界とは何かって考え出したら、気分がよくなった。やっぱり知性が発動してくると、心身ともに健康になるんですよ。

そういうことって、よくあるんです。たとえば、今まで全然知らなかったけれど、これからこの分野のことを集中的に勉強しようと思って、本屋に行って、それに関連する本をいっぱい買ってきて机の上にどーんと並べると、まだ買って来た本を1ページも読んでいないのに、なんとなく気分がハイになってくる。すでに達成感の一部を「前渡し」で受け取っているんですよね。つまり、人間「学ぶぞ」という気持ちになると、すでにかなりいい気分になる。だって「学ぶぞ」っていうマインドセットって、理想的なオープンマインド状態ですからね。学ぶものは何でもいいんですよ。ラテン語でも、経済学でも、分子生物学でも、「さあ、これからゼロから学ぶぞ!」って気合いが入ると、とたんに体調がよくなる。ご飯もおいしいし、友達としゃべっていても言いたいこともよくわかるし、こちらの言葉もよく伝わる。センサーの感度がよくなっているというか、毛穴が広がっているというか、外と内の行き来がすごく快調になってくる。そうすると、「さあ、これから勉強しよう」と思っていた学的領域とぜんぜん関係ないことでも、どんどん入ってくる。ぐいぐい吸収できる。勉強するっていうのは、何かを詰め込むことじゃないんです。知性を開放状態にセットすることなんです。だから、何でも入ってくる。「さあ、勉強しよう」と思って最初の本の1ページを開いたくらいのところで、すでにもう知性的には絶好調なわけです。だから、何を学ぶかということは、はっきり言ってどうでもいいんです。それより、「さあ、学ぶぞ。自分が全く知らない領域についてこれから勉強するぞ!」というときの未知の世界に踏み込んで行くべく前のめりの姿勢をとるということそのものが生物として正しいんです。

受験勉強がつまらなかったのは、だからそこで学んでいるコンテンツに意味がないということじゃないんです。そうじゃなくて、「さあ、勉強するぞ!」って気合い入れても、全然「未知の世界に踏み行っていく」という感じがしなかったんです。どちらかというと、刑務所に入っている囚人が出獄までの日を算えてカレンダーを×印で消してゆくような感じで、勉強したところを「済み」っていう印で抹消してゆくんです。何かが身に付いたというより、苦役が減少したという感じなんです。そんなのは「学び」じゃないと思うんです。学ぶっていうのは、そういうものじゃないでしょ。未知の世界に踏み込んで行くときの、脳にがつんとキックが入って、エンジンがぐうーんと高速回転を始めて、鼻の奥がきな臭くなるくらいに知性が高揚する感じ、あれをどうやって子どもたちに経験させるか、それが学校教育のかんどころだと思うんです。

僕の場合は高校をやめたことによって「学び」が起動した。自分はいったい何を知りたいのか、どういう技能や情報を求めているのか、それを真剣に考えましたから。それまで学校に行こうとすると、お腹が痛くなったり、ジンマシンが出たりしたんだけれど、高校やめたら、いきなり健康な不良高校生に…というか高校生でもなくなった。そのまま家も出てしまったから(笑)。とにかく貧乏で、いつもお腹を減らしていましたね。その節は小口君にはいろいろと奢っていただきましたね。

小口 いやいや(笑)。

内田 (笑)いや、お腹減らしているときに奢ってもらったご恩は忘れませんよ。そんな苦しい日々はあったんですけれども、でも、自分としてはとにかく、自分のいる世界、この1967年の日本社会とはなにがあったのか、どうしてこうなったのか、これからどうなるんだというときに、それを知ろうと思って全知全能をあげていたときには、自分は生き物としては正しく生きていたなという実感があった。でも、いつまでも貧乏してもいられないし、いつまでも水ばかり飲んでもいられないので(笑)、おめおめとお家に帰って、大検を受けて大学に行きました。でも、高校を一度やめた後の受験勉強というのは、在学中の受験勉強とは全然違うんですよ。全然苦しくない。自分の生き物としてのキャパシティーが大きくなっているから、受験勉強は前はすごくいやだったんだけれど、そんなのどうでもよくなった。朝起きて歯を磨くときの面倒臭さくらいの感じで受験勉強ができるようになっていた。たぶん、知的なエネルギーが発動して、容量が一回り大きくなったんでしょうね。前だったら、どうしても我慢できなかったことが、別になんということもなくなる。高校生のときの受験勉強て、「それしかない」ものだったんだけれど、一度ドロップアウトしたあとの受験勉強はさまざまな選択肢のうちの「比較的ましなもの」というふうに見えて来た。自分はこれから何をやることになるのか、まだわからないけれど、そのための一つのステップとして受験勉強もあるし、大学進学もあるな、と。そうやってはじめて受験勉強している教科の意味がわかった。なんでこれをやるのか、必然性が見えて来た。高校一年のときに小口君に聞かれた「なんで勉強するんだ?」という問いの答えは高校をやめてはじめてわかったんだよね。

小口 それはそうだ。こんなバカなやつがいると思ってそう言ったんだ(笑)。君はなんのために勉強をやっているんだと。

内田 (笑)そう言われて、あれこれ苦しんだ末に、なるほど、これこれこういうことなんだとわかってきた。そしたら苦ではなくなった、と。

未知への挑戦のおもしろさを本当は教えていかなきゃいけない(小口)

小口 そうなんですね。僕もそう思うよ。僕も大学院生に、既知のものをどれだけ覚えたかというのは学問じゃない。それは学習しただけであって、本当の勉強というのは、未知のものをどうやって証明していくのか、未知のものをどうやって見つけていくのかというのが学問であると。特に大学院になると研究が主になるんだけど、学部のときは未知への挑戦があまりありません。医療系という実学の世界の大学では高校の延長のような勉強の仕方が必要となるところがあります。したがって思考をする訓練が足りないせいかメンタリティーから言うと文系の大学の人たちよりもみんな素直で幼いんですよ。それは決められたことを覚えろということが主ですから、覚えたことから新しいものを導き出せという命題が与えられる場面が少ないですからね。だから、未知への挑戦のおもしろさを本当は教えていかなきゃいけないんですがね。

僕も自分自身が大学生のころは、これが勉強かっていうことで、あまり好きではなかった。だけど、すごく苦という訳ではなかった。なぜかと言えば、既知のものを覚えればいいのであれば、頑張ればできちゃうわけですね。内田先生もね、試験は大好きだって言ってたね。「なぜ試験が好きかというと、覚えたものが出るんだから、知らないことは絶対に出ない」ってね。僕も大学生のときにそう思った。知らないものは何も出ない。習ったものしか出ない。これは少なくとも未知への挑戦じゃないね。自分で問題を見つけ出して、自分で考えて自分なりの答えを見つけ出していく。未知への挑戦のためにはそういうプロセスが思考の中ですごく重要なんじゃないかなと僕は思っているんですよ。特に僕がそう思っているのは、医系の大学というのは本当に、既知のものを覚えろ覚えろばかりになっているから、本当はそうじゃないんだよということを教えてあげたい。未知への挑戦ってワクワクするほど楽しいんだよということをね。 (第3回につづく)

※写真提供:毎日新聞・山田茂雄氏

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