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[スペシャル対談] 理事長 小口勝司 × 理事・思想家 内田樹(4)【全6回】

2015年10月28日

昭和大学が企画した特別番組『夢の力』の放送を記念して、本法人の小口勝司理事長と思想家の内田樹理事の対談が実現。この模様は2015年2月28日の毎日新聞に掲載されました。

小口理事長と内田理事の出会いは高校1年生のとき。その後は別々の道を歩みながらも「教育者」という共通点をもつ2人が「昭和大学で何を学ぶべきか、社会に貢献できる医療人とはどういう人か」などについて熱く語り合いました。

今回は紙面の都合でカットせざるを得なかった内容を含めて、全6回にわたってご紹介いたします。

小口勝司 小口 勝司
おぐち・かつじ/1950年生まれ。
昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科修了、
医学博士。79年米国カンザス大学留学、82年英国
ケンブリッジ大学留学、87年昭和大学医学部助教授、
88年同医学部教授、96年同学生部長、2000年
学校法人昭和大学理事、01年同理事長。
平成27年春の褒章にて藍綬褒章を受章。
内田樹 内田 樹
うちだ・たつる/1950年生まれ。
東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院
修士課程修了。90年神戸女学院大学助教授、96年
同大教授。2011年同大名誉教授、学校法人昭和
大学理事。専門はフランス現代思想、映画記号論、
武道論。「日本辺境論」で新書大賞2010を受賞。
「街場の大学論」など著書多数。

「同じ釜の飯を食う」というのは、そのあとの人間関係を作る上でとても有効(内田)

小口 実地でいろいろ経験することが重要であって、机の前でどれくらい覚えたなんていうことだけでは駄目なんですよ。もちろん知らなきゃ話しにならないけどね。人間を知るという意味では、1年生のときに全寮制で初めての他人を観察する訓練を習わずにというのは、すごくいいのかなと僕は思いますね。

内田 そうですね。僕は私学の文学部総合文化学科というところで教えていたんだけど、僕のゼミを卒業した後に医療系の学校に入り直して看護師になった人がけっこうたくさんいる。けっこう意外な人が看護師になっている。医学部に入って将来は医者になると中学生くらいか決めていたというのではなくて、文学部卒業して、普通にOLやっていた子がフッと辞めて、看護学校に行って働き始めたというケースが結構多いんだよ。医療人が自分の天職だっていうことにある日気づく、そういうことがあるみたいだよ。

小口 そうなんです、そうなんです。

内田 人を癒すという仕事は、お金儲けよりもずっと楽しいって。ある意味、すごく素朴な。

小口 やっぱり生き甲斐なんですよ。自分が生きている価値を自分の中に求めたいでしょう。事務仕事をしていても、これは自分の生き甲斐じゃない。もっとフィールドに出て社会で活躍したいと思う人たちはいっぱいいるんですよ。

内田 うん。そのときにやっぱりね、真っ直ぐ弱者のほうに向いている。病人であったり、けが人であったり、いろんなことを抱えて生きづらくて苦しんでいる人の方に目がいって。そういう人たちを支援する仕事をしたいと思っている若い人がこのところ増えていると思う。もちろん医学部進学者の中には、高い年収が得られるとか、社会的地位が高いとか、そういう功利的な動機で進路を選んだ人もいるだろうけれども、実際には、シンプルに現場に出ていって人の役に立ちたい、と。そういう素朴な動機で医療を選ぶ人たちがだんだんと増えている感じがする。

小口 そうですね。医療系に進学する人たちはそれぞれに目的を持っていますよ。先生もおっしゃったけど、看護は大学を出てから入ってくる人たちがすごく多いですね。特に専門学校のほうに多いんですよ。年数が少ないから、早く……

内田 早く現場に立ちたいと。

小口 今さら学士は必要としていない。早く現場に立って自分のしたいことを早くしたいというので、看護専門学校の人気が高いんですって。

内田 学士入学してくる人が多いのかな。

小口 学士入学を希望する人が多いんです。だけど、卒業した後にできれば大学病院等で訓練してほしいんですね。一刻も早く希望の現場に行きたいので訓練をしない人もいますよ。志が高いですよね。僕は素晴らしいことだとは思いますけど、充分な実力をつけるために大きな病院で訓練することも重要だと思います。
いずれにしても、人間を知るということが重要なことだなと思います。それは観察力を鍛えることから始まります。観察するには全ての感覚を研ぎ澄まさなきゃいけないと思いますね。

内田 僕も全寮制は本当にいいと思う。日本近代教育制度で最も成功したのは旧制高校だと僕は思っているんだけれど、であれはやっぱり十代の少年たちが寮で起居を共にするというところがすごくよかったんだと思う。「同じ釜の飯を食う」というのは、そのあとの厚みのある人間関係を作る上では、とっても有効だと思う。

馬を水飲み場まで連れて行くことを一生懸命やっている(小口)

── その中で自ら学ぼうというような意欲が培われると。

小口 いやぁ、大学生で自ら学ぼうまで行きますかね。

内田 なかなか行かないですね。でも大学に限らず、教育って教師一人でやるものじゃないから。教育というのは教師団(ファカルティ)が主体でやるものだから。誰かが学びのきっかけを与えればいいので。いろんな教師が、いろんな場面で、いろんなことを学生たちに語りかける。そのうちの何かが「トリガー」になって、学びが起動する。18歳で学びが起動する子もいるし、25でそうなる子もいるし、30までならない子もいる。でも、ふつうはどんなに時間がかかっても、必ずどこかのきっかけで突然、学ぶ意欲というのは生まれてくるんですよ。

小口 そうですね、何かのきっかけがあるんですよ。そのきっかけを作るのが寮だとも言えるし、問題解決型教育、PBL(プロブレム・ベースド・ラーニング)というふうになるんだと思うんですね。要するに、答えがあるんじゃなくて、シナリオに沿って自分たちで問題をそのシナリオから見つけてきて、答えを自分たちで探し出すというような、そういうのもやっているんです。それをやれば自分で問題を見つけて解決できるようになるのかというと、決してそうではないんですね。しかし、問題認識のきっかけになるかもしれないし、問題を見つけたときに、どうやって解決していんだろうかという筋道を教えることができる。だから結局は、馬を水飲み場のそばまで連れてくることですね。

内田 水は飲ませられないと。

小口 うん。飲ませるまではなかなかいかないですよね。先生の大学教員の経験からでも、それは難しいでしょう。

内田 僕はかなり大学教員としては学生を育てる手際はなかなかよかったと思うんだけど、それでも打率から言ったら2割5分くらいだと思う。7割5分の学生は、いくら僕が語りかけても、耳を塞いだままで話を聞いてくれない。でも、そういう学生たちでも、他の先生たちや他の学生からの、何かの言葉や働きかけに反応して、成長し始める。だから、自分ひとりで全員を何とかしようなんて不遜なことは思わない方がいいと思う。教育というのは個人でできる事業じゃなくて、やっぱり何十人かの「ファカルティ」の共同作業だと思うんだ。だから、教師たちは、できるだけ教育理念も違う、教育方法も違う方がいい。多様な教師たちで構成されている「ファカルティ」の方が教育効果は高くなる。全部の教師が同じ教育理念を共有して、同じ教育方法を実践するというのは、効率よさそうに見えるけれど、多様な潜在能力を開花させるという点でいうと、非常に効率が悪い。

小口 おそらくね、これをやりなさいと言えばみんなできるんですよ。これを読みなさいと言えば読むし、レポートを書きなさいと言うとレポートを書くんですよ。だけども、自らそれをやっていこうか、やりなさいではなくて、自分で「あっ、そうか、そうか」とやっていくところまで行かないと、能力がついたというか、習慣がついたとは言えませんが、そこまではなかなか持っていけないんですよね。ただ、こういうふうにやるんだよというところまでは、方法論は教えられる。要するに、学習というもの本体は、内的に変化したものがないといけないわけですよね。学習による知的変化を求められるか、もしくは行動の変化を求められるかというと、なかなか難しい。だけど、それを命題にしないと先に進まないし、ただの受験勉強になってしまうので、学生に学習の本体を知る機会をつくる、つまり、水飲み場まで連れて行くことを一所懸命やっているのでしょう。

若い人たちには師が必要なんです。それも「ほめる師」が。(内田)

内田 若い人たちがある日自主的に勉強を始めるきっかけって大体ひとつだと思うんですよ。それは、「この人に認められたい」という思いです。「この人」は先輩であってもいいし、先生であってもいい。とにかく「この人」に認められたい、評価されたい、と。その人から「君、なかなかやるじゃないか。それでいいんだよ」と言われたい。「この人」になんとかして承認されたいと思うときがやはり一番典型的な開花のきっかけだと思います。

教師に対して期待していない、勉強は自分でやるからという人もたまにいますけれど、これはどうしても限界がある。独学者の悲哀なんです。先生というのはどういう基準で自分のしていることを評価してくれるのか、その基準がわからない人のことなんだけれど、独学者は自分で自分の出来不出来を評価しなければならない。「査定する自分」と「査定される自分」が同一人物だから、どうしても自分の限界を脱皮できないんです。「査定する自分」がどういう基準で良否を判定しているか、「査定されている自分」は実は知っているわけです。だから、査定をいくら厳しくしても、それは自分自分の殻を強化するばかりで、自分の殻から抜け出すきっかけにはならない。だから、やはり師は必要なんです。複雑で、厚みのある生身の人間しか師にはなれない。生身の人間しか学ぶものの承認願望をかきたてない。自分で自分の仕事を査定して、「これはたいしたものだ」と満足することって、ありえないわけですよ。だから自分で自分を査定している限り、評価はどんどん厳しくなる。「こんなもの世間に出せない」というようなきつい自己診断を下すことを繰り返しているうちに、「査定する自分」と「査定される自分」がしだいに乖離してきて、「査定する自分」がほんとうの自分のように思えてくる。だって、そっちの方が「えらい」わけですから。「査定する自分」にだんだん軸足が移って行く。そうすると、自己評価はどんどん下がってくるわけです。だって、自分で自分をほめたらバカみたいだけど、自分で自分の仕事をぼろくそにけなしていると、「あの人は自分に厳しい、理想の高い人だ」と勘違いされるかもしれない。そうやってつぶれていった若い研究者を僕はけっこういっぱい見てきました。「見巧者」というのか「眼高手低」というのか、独学者はそうなりがちなんです。

だから、師が必要なんです。それも「ほめる師」が。若い人たちの承認願望ってすごく強いから、目と目が合ったら、とりあえずほめるところを探して、ほめる。僕はそうしてます。低い自己評価に居着いている人を、そこから引きはがすことって、年長者のたいせつな努めだと思います。

僕はもっぱら今は大学の授業はもうしていなくて、道場で合気道を教えている方がメインなんですけど、「先生は多分、自分のことを全然見てないだろうな・・・名前も知らないんじゃないかな」と思っているような子の肩をポンと叩いてさ、「だいぶ動きが冴えてきたね」と話しかけたりすると、ほんとうにうれしそうなんです。すると、一言で動きがぜんぜん変わってしまう。どこがどうというのではなく、承認されたことで、恐怖心とか怯えとか迷いが消える。「これでいいのかな」とおどおどした感じがなくなる。それ、すごく大きいと思うんです。だから、教師のいちばんたいせつな仕事は、弟子を「いいね」って励ますことだと僕は思う。

本来はやはりフェイス・トゥ・フェイスでないと駄目だと思う。(小口)

小口 そうだとすればやっぱり、一人の先生が受け持つ学生の数は限りがあるよね。マス・エデュケーションでは、それはできないもんね。

内田 マスでは無理です。対面状況じゃないと、できないです。授業なんかネットでビデオ放映すればいいじゃないかと言う人いますけれど、ディスプレイの中の先生は、背中ぽんと叩いて「最近よくなったね」とか絶対言ってくれないじゃないですか。

小口  僕もそう思う。だから、eラーニングとかいろいろあるけれど……

内田 eラーニングなんて全然効かないと思う、悪いけど。

小口 まあ、それなりにはあるかもしれないし、それを必要としている人たちもいるのかもしれないけれども、本来はやはりフェイス・トゥ・フェイスでないと駄目だと思う。

内田 身近に教えてくれる先生がいなくて、山奥とか無人島で一人で勉強したいというのなら、eラーニングでもすばらしい教育機会になると思うけれど、生身の先生がそこにいるのなら、わざわざeラーニングをやることないですよ。

小口 そうだね。そういうことから言うと、昭和大学は先生がすごく多いね。フェイス・トゥ・フェイスにしましょうって、先生たちに申し上げているんですよ。 (第4回につづく)

※写真提供:毎日新聞・山田茂雄氏

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