令和4年春の叙勲で小出良平名誉教授が瑞宝中綬章、河本禮子氏が瑞宝単光章を受章

受賞・表彰

令和4年春の叙勲受章者が4月29日に発表され、小出良平名誉教授が瑞宝中綬章、河本禮子氏が瑞宝単光章をそれぞれ受章しました。
 
小出名誉教授は、昭和48年3月に本学医学部を卒業、昭和53年4月に眼科学教室に入局後は、同主任教授、昭和大学病院附属東病院長、医学部長等を歴任し、平成25年7月から令和元年7月まで学長を務めました。この間、医学の教育・研究・診療の発展に努めるとともに、長年にわたり大学の発展に尽力した功績が評価され、このたびの受章となりました。
 
河本氏は、昭和51年5月に昭和大学病院に入職後、主に小児看護・新生児看護に従事し、現在の同院総合周産期母子医療センター(NICU)における看護の基盤の構築に大きく貢献しました。その後も、看護婦長(看護師長)、平成18年3月からは昭和大学附属烏山病院の看護部次長として看護師の教育を行い、看護管理の確立・強化に尽くした功績が評価され、このたびの受章となりました。
 
コロナ禍のために皇居での伝達式は中止となり、天皇陛下に拝謁する機会は叶いませんでしたが、5月25日、旗の台キャンパスにおいて、小口勝司理事長から勲章が伝達されました。

叙勲001小口勝司理事長、小出良平名誉教授
叙勲002小口勝司理事長、河本禮子氏

小出良平名誉教授の略歴

昭和48年 3月 昭和大学医学部  卒業
昭和52年 3月 昭和大学大学院医学研究科病理系薬理学 修了
昭和52年 4月 昭和大学医学部第二薬理学教室助手
昭和53年 3月 昭和大学医学部眼科学教室助手
昭和55年 8月 沖縄県立名護病院眼科医長(厚生省派遣医)
昭和60年 7月 昭和大学医学部眼科学教室講師
平成元年 4月 昭和大学医学部眼科学教室助教授
平成4年 4月 昭和大学医学部眼科学教室教授
平成11年 4月 昭和大学病院附属東病院長
平成12年 4月 学校法人昭和大学評議員
平成13年 5月 学校法人昭和大学理事
平成22年 4月 昭和大学医学部長
平成24年 4月 昭和大学富士吉田教育部長
                      昭和大学名誉教授
平成25年 7月 昭和大学学長
 
小出良平名誉教授のコメント
今回、瑞宝中綬章の栄誉にあたり、身に余る光栄であり感激しております。これもひとえに皆様のご支援とご指導の賜物と深く感謝申し上げます。今回の受章は、昭和大学の社会に対する貢献が認められたものと考えております。
今後もますます精進し、社会に貢献する医療人の育成に寄与して参る所存です。
 
 

河本禮子氏の略歴

昭和49年 3月 広島県立高等看護学校第二臨床科  卒業
昭和51年 5月 昭和大学病院 看護婦
昭和63年 4月 昭和大学病院 看護婦長心得
平成4年 4月 昭和大学病院 看護婦長(看護主幹)
平成6年 4月 青山学院大学経営学部経営学科 卒業
平成7年 5月 エジプト出張(JICA)(平成8年6月まで)
平成11年 4月 エジプト出張(JICA)(平成14年3月まで)
平成14年 4月 昭和大学病院附属東病院 看護師長(看護主幹)
平成16年 4月 昭和大学豊洲病院 看護師長(看護主幹)
平成16年   10月 昭和大学豊洲クリニック 看護師長(看護主幹)
平成18年 3月 昭和大学附属烏山病院 看護部次長(看護副参事)
(平成20年 定年退職)
 
河本禮子氏のコメント
昨年8月、叙勲候補のお話をいただき、真夏の夢か冗談かと思いました。今春に現実のものとなり、大変栄誉ある人生のご褒美に感激しています。
思い起こせばNICUで1,000g未満の低出生児と夜通しの病との戦い、朝日が差し込む時間を迎えるたびに命が守れた喜びと安堵、誕生して間もないそれぞれの児の個性を感じた日々でした。看護管理者となってからは、異国(エジプト、ネパール、インドネシア)で出会った病児を見つめる母の姿は世界共通だと感じさせていただきました。さらに管理や教育の分野に携わり後輩たちの育ちを見つめさせていただきました。
このような仕事の醍醐味の機会を与えてくださったことに感謝し、昭和大学のご発展を祈念しています。