海外で活躍する卒業生

野地華穂さん(2015年卒)

以前から海外で働く、学ぶことに関心があり、2018年からオーストラリアに在住しています。
現在は、施設や各家庭のお子さんや高齢者の方々の生活を支援しています。時には夜勤もします。身体的援助に加え、その時間を一緒に過ごし安心感を与える、社交性を取り戻す、という精神的支援も行います。
昭和大学医学部附属看護専門学校に入学したきっかけは、受験を決めた時期が冬だったこともあり、受験科目も考慮しなければならず、その段階で選択肢がかなり限られました。合格した数校のうち、臨床の場をより近くに感じやすいこと、附属病院で実習ができることなどを理由に決めました。
学生時代の私は、人生でもっとも必死に勉強していました。寝る間も惜しんで、という言葉をよく思い返します。在学中、部活動を通し医療活動に関わることができたことは貴重な経験となりました。
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IMG_64423月はまだまだ暑く、遠くのビーチまでお出かけ。汗をたくさんかいた後に崖から見下ろすと絶景が広がっています。


看護師という仕事を通し、良くも悪くも対象をあらゆる角度から捉えることとなります。それは私にとって、価値のあるものとなりました。
経験の浅い中で幸いにも、看護師で良かったと思えた経験も得ることができました。それが現在にも通じていることをうれしく思います。
自分らしさを発揮できる環境は千差万別ですし、自分で確かめないとわかりません。だめだと思ったら戻れます。
何事も最初は少し勇気がいりますが、目標や夢に向かって踏み出してあとは突き進んでください。
その後は適度にがんばり、あとは流れに身を任せるのもいいかもしません。



IMG_6444こちらは山奥の崖から。何度行っても腰が引けますが、また違った絶景を見ることができます。

中村詠美さん(2012年卒)

2018年からアメリカ合衆国に滞在しています。私自身、英語が全くわからなかったときに現地の日系病院で日本語で医療を提供してくれる方たちの存在はとても有難く、少しでもそういった人たちの助けになればと思い、海外でも自分の知識とスキルを活かせる医療現場で働くことにしました。
現在アメリカでは受付業務、健康診断の実施、診察介助、消化器内視鏡の介助を行っています。医師は日本人ですが、現地の方々がたくさん来られます。医療行為としては基本的なことは変わりませんが、電話対応、病名や症状は英語です。まだまだ難しいことだらけですが実践の中で日々勉強をさせてもらっています。また現在アメリカの看護師の資格取得のため勉強をしています。英語のスコアも必要なため看護師試験と同時にTOEFL対策として語学学校にも通っています。
中村さん


IMG-9449大谷翔平選手が活躍するエンジェルススタジアムです。
現地の人もOhtani‐San !と応援していて同じ日本人としてとても嬉しいです。また近所で目撃情報もあるので私もいつか会いたいと願っています。


昭和大学医学部附属看護専門学校に入学したきっかけは、医学部附属であり、実習を最新の医療現場で受けられる環境が整っているためです。また授業も昭和大学病院をはじめとする各附属病院の医師や看護師の方々から教わることができ、より深く面白い、現場に通じる知識を得ることができるためです。
また就職後、昭和大学の看護専門学校を卒業した子はみんな気が利き、即戦力になるとよく耳にしました。先生たちの指導のおかげだと思います。

学生時代は、テストや実習は簡単なものばかりではありませんでしたが、仲間とともに乗り越え、テストや実習終わりに打ち上げをしたり、また実習の記録を何時までには終わらせると決め遊びに出かけたりとメリハリをつけて充実した日々を送っていたように思います。
3年生は実習と国家試験の勉強を並行して行わなければならず、とても大変でしたが担当の先生と個別に学習計画を立て、指導して頂いたおかげで無事に卒業し国家試験も合格することが出来ました。
現在の語学学校では偶然ですが様々な国の医療関係者が多く、アメリカで働けるようにと英語の勉強を一緒に頑張っています。フィールド、夢が似ている人達と勉強することはとてもいいモチベーションとなっています。

受験勉強はとても大変だと思います。しかし学校に入ることがゴールでも看護師になることがゴールでもありません。看護師は常に患者のために勉強し続けなければなりません。そんなに勉強するの嫌だなと思うかもしれません。私もそう思っていました。
けれど興味のある学習は面白いですし、私は昭和大学病院で働いていた時に看護師ほど人の人生に関わる職業はないと思い、とてもやりがいを感じることができました。看護師の関わり方次第で患者、家族の退院後の将来が変わってきます。患者さんの力になれるまでにはたくさんつらいことがあると思います。
でもそれを乗り越えることでまたつらいことが出てきたときに、あの時あんなに辛くても乗り越えることができたと自分の自信にも繋がります。
また日本の病院で働くことが全てでもありません。看護師を目指すみなさんには無限の可能性が広がっていると思います。
もちろん辛いことだけでなく楽しいこともいっぱいあります。楽しいことをしながらさらに楽しい未来を目指して一緒に頑張りましょう。


IMG-9768雰囲気の良いビーチも近くにあります。少し行けば山もあり、ハイキングやキャンプもできます。
ロサンゼルスといえば都会なイメージですが、自然もたくさんあり、自然に触れることでリフレッシュになります。

白茂良子さん(2000年卒)

看護学校を卒業後、昭和大学病院で10年働きました。救急看護知識と技術を学び、チーム医療においてもリーダーや各研修、新人から指導者まで経験させていただきました。
大学医学部附属看護学校出身であったため、違う看護はどうなのかと興味がわき、その後日本大学病院救急センター(当時)で4年経験しました。
学生時代から看護師になってからの間、無我夢中で看護に魅了されていました。たくさんの経験から私が目標としていた看護師を達成できたと感じました。
一つの看護目標を達成したあと、私はどの看護の目標を次に考えた時、日本での生活とは真逆の生活を経験してみたかったので、文化や歴史、環境の異なる国への1年留学を決め、看護職から離れました。

英語力はゼロ、生活の知識もゼロからのスタート。多民族の人と接し刺激を受け、私の看護も常に前進していたいと感じました。一人の女性に会いアメリカで看護師を目指すチャンスを与えてくれました。アメリカでの看護の道を目指そうと決断し、現地の看護学校に入学します。
現在は、学校を卒業し、看護ライセンスを取得、日本での看護経験を生かし、アメリカでも看護師として働くことが目標です。
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白茂良子さん02アメリカで看護のチャンスを与えてくださった星さん(Hoshi World Inc. アメリカ看護)。

昭和大学医学部附属看護専門学校に入学したきっかけは、学校の設備が充実していること、大学附属の看護学校のため、実習施設も附属病院で実施できること、卒業後、附属病院に就職できること、など決め手がたくさんありました。また看護に固執せず、医系大学・附属病院が隣接しているため学生時代から視野が広がるのも大きな利点でした。

学生時代は、2年生までは座学が苦手で苦労しました。戴帽式が終わり、特に3年生は私の人生の中で一番努力したと今でも断言できます。1年間グループ行動では良い仲間に恵まれ、学校での勉強やカフェでのアサイメント、仲間の家に泊まり徹夜レポート作成。実習・勉強に没頭した日々は仲間と一緒だったから乗り越えられました。実習1term終了後の外食、夜のドライブ、いぶき祭(看護専門学校祭)なども思い出です。1年間一緒に過ごした全ての時間が今でも鮮明に残っています。卒業しても、院内で仲間や先生と会う機会がありこれが看護職を継続できるモチベーションでした。


IMG_2820ビーチやダウンタウンにはいたるところにアートがあります。観光客でいつも賑やかなところです。



看護専門学校を卒業した事は今でも誇りに感じています。どのポイントを重要視したいかは人それぞれですが、看護学生生活と卒業後の看護職を昭和大学で経験し、全て良い経験となりました。卒業後、離職後にアメリカで生活している現在も、母校のスタッフが全面的に卒業生のサポートをしてくれています。
学校見学など、実際に自分の目で見て、学生期間だけではなく自分の看護人生を考え、進路を選択してほしいです。